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寺子屋日記

寺子屋からのおたよりです。

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2019-05-04 (Sat) 19:25

平成の時間 2

娘に染色異常があるとわかった時

私は娘と2人で医師の前に座ってそれを聞いていた。

まだ目も開かず生後2ヶ月経っても表情のない娘を抱いて。

その時から私の中でもう一人の人に頼れない自分が歩き始めていた。

娘の父親に頼れない自分。

本当の気持ちを伝えられない自分。

きっとそれは自分のくせであり、自分のテーマだったのだと思う。

もしかしたら今もかな?

娘の障害がはっきりして行った時

2つ上の息子と娘は一緒の学校に行けないとふと思った。

そんな時世田谷区の冒険遊び場プレーパークで行われている

自主保育をしている素敵なTさんと出会った。

Tさんはテルミーの先輩でもあり

お二人のお嬢さんを自主保育で育てていた。

私は仕事をしていたので子どもを預けずに

自分たちで保育をする、しかも病弱の娘を抱えて

本当にできるだろうか、ととても不安になった。

それでもTさんの励ましと、そこで遊ぶ子どもたちに触れることで

2年間ここで長男と長女を一緒に育てる日々は

きっとかけがえのないものになるだろうと確信した。

お当番は週に1日か2日。同じ学年のお子さんは5〜6名。

ほぼ、毎日羽根木公園で過ごし、1回は遠出をする。

保育時間は9時半〜2時。

羽根木公園のプレーパークは「子どもが自分の責任において

何をしてもいい場所」

一日中穴を掘り続ける子

葉っぱのプールで遊ぶ子

ログハウスの屋根から飛び降りる子

包丁で何かを切る子

火をつけてお鍋で何かを煮る子

あげればきりがないくらい遊びの種類があり

大人はそれをあえて規制することはなく

安全は見守り、何か問題があると思った時は

相談する。

そんな遊び場に2人の子どもを連れて通った。

私が当番の時は娘はビニールシートに座り

当時娘がハマっていたスーパーのビニール袋を

ひたすら口のところに持って行って

過ごしていた。

娘は2歳。ようやく座れるようになっていたが

まだハイハイはできず、ずっと座っていた。

外からやってきた人はちょっとびっくりして

娘のそんな姿を見ていたのを覚えている。

保育時間が終了すると泥だらけになった息子と

ビニールを満喫した娘を連れて実家の仕事場に向かった。

仕事が終わると2人を連れて自宅へ。

そんな生活を2年続け、息子は小学生になる時

自主保育を卒業した。

のちに息子は

「あの2年間は宝物のような毎日だった」と振り返った。

20年以上たったころ他のお母さんたちが会報誌を作ってくれた。

その一番後ろに卒会の時にとった集合写真が載っていた。

娘にそれを見せると

娘は真っ直ぐに自分の写っているところを指差した。

私に抱かれている娘の写真。

私は涙が溢れた。

息子が話した「宝物の時間」はきっと娘にとっても

同じだったに違いない。

そしてただただビニールをいじっていた娘は

その日々を覚えていた。

人の内面には外から見えない動きがきちんと行われている

ということをこの時娘に教えてもらった。


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最終更新日 : 2019-05-04

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