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寺子屋日記

寺子屋からのおたよりです。

Top Page › 日々のこと › 平成の時間
2019-05-01 (Wed) 09:21

平成の時間

今日で平成が終わる。

思えば私の平成は長女の障害を

受け入れるところから始まった。

昭和63年生まれの長女。

8月に生を受けてその2ヵ月後に染色体異常があることがわかった。

「他に例がない異常なので生育を見守って行きましょう。」

目の前が真っ暗になってしばらく泣いて暮らした。

1年経っても首が座らない長女をただ見守っていることはできなかった。

本を読んで情報を求め

京都のボイタ療法の病院に行ったり

埼玉の自然保育することで障害を軽くした実績のある

カリスマ園長に会いに行ったり

神奈川の理学療法の病院に行ったり

反応の乏しい音楽療法も効果があるならと

いいと聞けば娘を抱いてあちこち歩いた。

免疫力のない娘は風邪を引くとすぐ肺炎になり

生死の淵にまですぐに行った。

入院してまた戻ってまた入院。

そんな日々が続いた。

ある時東洋医学のテルミーという温熱療法を叔父がペルーで

施術していたのでそれを見よう見まねで娘に毎日やった。

テルミーの資格がとれる学校へ娘を母に預けて

通った。

しかしどういうわけか娘は私が学校へ行くと

体調を崩し、ずっと泣き続けた。

そんなことを繰り返して行くうちに

私は自分が娘にしていることは本当に娘のためにやっているのか

わからなくなった。

ただ娘はこの世に生を受けて今はとても心細いのだろう

私という身体を通って私から離れたことが

とても大変なことなのだと思い図ることしかできなかった。

ある時娘を抱いてずっと揺すりながら

娘に聞いた。

「私があなたにしていることは

あなたはどう思う?

私はあなたのためにやってるの?

私は私のためにやってるの?」

私は泣いた。ずっと泣いた。

そしたら娘の心の声が聞こえた気がした。

「お母さん、お母さんの愛から生まれたものなら

何をしてもいいよ」

私はまた泣いた。愛ならいいのか。

この子はそれを受け入れてくれる。

私は何かが開いた気がした。

娘は3歳ではいはいができるようになり、6歳で歩けるようになり

入学する年にやっとオムツが取れた。

先生と私に手を引かれ入学式の体育館を歩いたことを

思い出す。誇らしかった。娘が歩けるようになったことが。

オムツが取れたことが。

娘の共に歩いて行くうちに

私の中で私という存在がはっきりと頭をもたげてくるようになった。

自分が何者なのか

自分はどこに向かっているのか

そんなことが鮮明になって行った時

私の中で娘の父親との別れを意識するようになった。

平成の30年間の最初の3分の1で

私は自分と対面して生きて行くことを

娘の魂と共に始めた。




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最終更新日 : 2019-05-01

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