塾生のお母様との往復書簡
*岩岡からお母様へ
小4の時から6年間近く、寺子屋に通っていただきました。
その間お母さんとずっとご相談しながらAくんの成長を見守ってまいりました。
ある時期から、Aくんの「今」を大事にしていきたいと強く思うようになりました。
それは「〜をできるようにする」または「〜は無理しても乗り越える」ということではなくて、「今」のAくんができるこ
と、Aくんが求めていること丁寧に拾い上げていくことだったと思います。
お母さんご自身も「決められている」「みんながしている」ことではなくAくんの中から湧き出ているものを感じながらそ
れに添っていらっしゃいました。
小さな変化も見つめ続け、感じ取り、見守り続けていらっしゃいました。ここ数年、最初の頃は考えられなかった大きな成
長の時期が彼に訪れました。
それは小さな波の一つ一つに丁寧に向き合っていらした結果の出来事だと思っています。
「彼のペース」「彼の呼吸」を大事にして過ごした6年を通して彼が自分の中に形作っていったのだと思います。
彼が持っていた「伸びようとする芽」の存在を信じてその芽に向かって信じる気持ちを送り続けたお母さんと6年間ご一緒
させていただいて私自身とても大きなものをいただきました。
どの子の中にもある「芽」を大切にしながらそしてその「芽」に向かって気持ちを注ぐことを私自身もこれからも大切にし
て来たいと思います。新しい生活おめでとうございます。
*お母様からのお返事
岩岡先生に出会わせていただいて、もうすぐ6年になります。
寺子屋がほんとうにすばらしいのは、子どもの成長を、長い目でご一緒に見守っていただけることです。
心から信頼できる大人に、安心できる環境で、継続的に、長期にわたり関わってもらうこと。
それが何より本人の魂の安定を導き、成長を支えてくれたものと思います。
それはどんな学校教育の場におきましても、全く不可能という訳ではありませんが、たいへん難しいことかと思います(少
なくとも、現在の日本の公立学校の通常学級におきましては。私見に過ぎませんが)。
それをしていただけた私たち親子はほんとうに幸運です。
また、岩岡先生は、「どの子の中にもある、伸びようとする芽の存在を信じる」ことの大切さについて書いてくださいまし
た。
岩岡先生は、私が、その「芽」の存在を信じ続けた、とも述べられておられますが、
私は、その「芽」は、寺子屋という場との出会いによってこそ見いだされたものであるように思えてなりません。
はじめて寺子屋の扉を叩かせていただいたときは、私の心中はとてもその「芽」を信じるどころではなかったのですから。
先生のもつあたたかさによって、その「芽」は守られ、ひかりを当てていただきました。
岩岡先生はじめ寺子屋の先生方みなさまに感謝を捧げます。
そして、これからも、長く本人の成長を見守っていただけましたら幸いです。
*岩岡からお母様へ
小4の時から6年間近く、寺子屋に通っていただきました。
その間お母さんとずっとご相談しながらAくんの成長を見守ってまいりました。
ある時期から、Aくんの「今」を大事にしていきたいと強く思うようになりました。
それは「〜をできるようにする」または「〜は無理しても乗り越える」ということではなくて、「今」のAくんができるこ
と、Aくんが求めていること丁寧に拾い上げていくことだったと思います。
お母さんご自身も「決められている」「みんながしている」ことではなくAくんの中から湧き出ているものを感じながらそ
れに添っていらっしゃいました。
小さな変化も見つめ続け、感じ取り、見守り続けていらっしゃいました。ここ数年、最初の頃は考えられなかった大きな成
長の時期が彼に訪れました。
それは小さな波の一つ一つに丁寧に向き合っていらした結果の出来事だと思っています。
「彼のペース」「彼の呼吸」を大事にして過ごした6年を通して彼が自分の中に形作っていったのだと思います。
彼が持っていた「伸びようとする芽」の存在を信じてその芽に向かって信じる気持ちを送り続けたお母さんと6年間ご一緒
させていただいて私自身とても大きなものをいただきました。
どの子の中にもある「芽」を大切にしながらそしてその「芽」に向かって気持ちを注ぐことを私自身もこれからも大切にし
て来たいと思います。新しい生活おめでとうございます。
*お母様からのお返事
岩岡先生に出会わせていただいて、もうすぐ6年になります。
寺子屋がほんとうにすばらしいのは、子どもの成長を、長い目でご一緒に見守っていただけることです。
心から信頼できる大人に、安心できる環境で、継続的に、長期にわたり関わってもらうこと。
それが何より本人の魂の安定を導き、成長を支えてくれたものと思います。
それはどんな学校教育の場におきましても、全く不可能という訳ではありませんが、たいへん難しいことかと思います(少
なくとも、現在の日本の公立学校の通常学級におきましては。私見に過ぎませんが)。
それをしていただけた私たち親子はほんとうに幸運です。
また、岩岡先生は、「どの子の中にもある、伸びようとする芽の存在を信じる」ことの大切さについて書いてくださいまし
た。
岩岡先生は、私が、その「芽」の存在を信じ続けた、とも述べられておられますが、
私は、その「芽」は、寺子屋という場との出会いによってこそ見いだされたものであるように思えてなりません。
はじめて寺子屋の扉を叩かせていただいたときは、私の心中はとてもその「芽」を信じるどころではなかったのですから。
先生のもつあたたかさによって、その「芽」は守られ、ひかりを当てていただきました。
岩岡先生はじめ寺子屋の先生方みなさまに感謝を捧げます。
そして、これからも、長く本人の成長を見守っていただけましたら幸いです。
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最終更新日 : 2018-03-01