山元加津子さんは養護学校の先生でたくさん著作も出していらっしゃる。
その中に自閉症の人たちが
「常道行動」と呼ばれる行動をすることについて
それは「神への道」なのではないのか
というくだりがあった。
長女の実習所にいってそれが自由時間だったりすると
ひとりひとりがそれぞれの世界にいて
本当に飛び跳ねている方や、耳をふさいで一人歌を歌っている方や
ずうっと歩いている方やそれぞれの方がみんな自分の世界を
楽しまれている。
みなさんはわたしたちよりも明らかに自分の濃い世界を
おもちなのだと思う。
長女も自閉症ではないけれど
自分の世界にいるのが大好きで
一人でいてもあきるということはないらしい。
山元さんはそれを「神への道」に近づく時間と書いていたけれど
かつて認知症の父も常道行動を繰り返していたことを
思い出した。
あるとき人が明らかに違う世界に足を踏み入れるとき
そこにはこちらの時間軸や空間組織とは関係なく
みなさん独自のパラレルな世界を持つようになるのかもしれない。
私たちにはあまり理解できない
しかしそこには何か手応えのあるとでもいうか
いやただ単にそこに存在することをくりかえすような
そんな時間の流れと空間が存在するのかもしれないと
サムシンググレートに一歩近づく
時間の過ごし方をしているのだろうと想像する。
その中に自閉症の人たちが
「常道行動」と呼ばれる行動をすることについて
それは「神への道」なのではないのか
というくだりがあった。
長女の実習所にいってそれが自由時間だったりすると
ひとりひとりがそれぞれの世界にいて
本当に飛び跳ねている方や、耳をふさいで一人歌を歌っている方や
ずうっと歩いている方やそれぞれの方がみんな自分の世界を
楽しまれている。
みなさんはわたしたちよりも明らかに自分の濃い世界を
おもちなのだと思う。
長女も自閉症ではないけれど
自分の世界にいるのが大好きで
一人でいてもあきるということはないらしい。
山元さんはそれを「神への道」に近づく時間と書いていたけれど
かつて認知症の父も常道行動を繰り返していたことを
思い出した。
あるとき人が明らかに違う世界に足を踏み入れるとき
そこにはこちらの時間軸や空間組織とは関係なく
みなさん独自のパラレルな世界を持つようになるのかもしれない。
私たちにはあまり理解できない
しかしそこには何か手応えのあるとでもいうか
いやただ単にそこに存在することをくりかえすような
そんな時間の流れと空間が存在するのかもしれないと
サムシンググレートに一歩近づく
時間の過ごし方をしているのだろうと想像する。
スポンサーサイト
最終更新日 : -0001-11-30